熊本は当時の経緯を、再審を求める上申書につづった。約2年間にわたる静岡地裁の公判を通じ、「袴田は無罪」と感じていた。起案用紙に360枚の無罪判決文を書いたが、3人の裁判官の合議の結果は2対1で有罪。「取り決めだから書いてくれ」。石見勝四裁判長から求め ...
2014年に朝日新聞に掲載された、 袴田巌 さんに関する連載を再配信しました。肩書や年齢などは当時のままです。 (敬称略) 「袴田さーん、袴田さーん」。後輩記者と共に「こがね味噌(みそ)」の従業員寮を訪れた富永久雄(73)=県代表 監査委員 ...
面会番号は88番。面会できる場合は電光掲示板に番号が表示される。長いすで数十分待ったが、番号が光ることはなかった。職員に「こちらに用はない。断って欲しい、とのことです」と告げられた。この日も死刑囚である弟・袴田巌(78)との面会はかなわなかった。
2014年に朝日新聞に掲載された、 袴田巌 さんに関する連載を再配信しました。肩書や年齢などは当時のままです。 (敬称略) 弁護士の角替清美(40)は2006年、 静岡市 で開かれた袴田巌の支援者の勉強会に参加した時、そう感じた。当時は、 司法試験 ...
住んでいた寮の窓から工場の屋根ごしに、専務の橋本藤雄(当時41)の家を見ると、黒い煙が上がっていた。外に飛び出し、消火活動に加わった。「家族は避難しているはずだ」。鎮火したころ、敷地内の土蔵に入ってみたが、誰もいなかった。
杉山も当時、冤罪(えんざい)を訴えて裁判で争っていた。そんな事情を知っていたのか、袴田は時折、自分の裁判の進み具合を杉山に話しかけてきた。私語は禁じられているため、青空を見上げ、独り言のようにつぶやいていた。
裁判のさなか、検察の筋書きを覆す新たな証拠が見つかる。事件から1年以上経った67年8月31日。「こがね味噌(みそ)」の従業員だった男性(82)は、工場のみそタンクの中から、みそに埋もれた麻袋を見つけた。中をあけると、血に染まった衣類が見えた。「事件の ...
裁判員裁判 が2009年に始まるのを前に、弁護側に証拠開示を求める権利が05年の 刑事訴訟法 改正で認められた。袴田の再審請求に関わる新屋達之・大宮 法科大学院 大教授は「再審事件に直接適用されないが、裁判所が証拠開示を勧告しやすくなった」と話す。
「昨日、隣の部屋の人が処刑された。お元気でと言ってた。みんながっかりしている」。1980年の死刑確定からしばらくして面会に訪れた姉ひで子に、袴田巌はまくし立てた。それ以降、処刑に関する話題は一切しなくなった。
元ホテルマンの教授が教える「ホスピタリティ」の概念とは 米国で教育に目覚めた桜美林大教授。学びのカギは「地域との共生」 元サッカー選手の丸山桂里奈さん・本並健治さん夫妻が聞く、難病ITPとは?